現代野球ではもはや一般的な存在となったトミー・ジョン手術。

 

ダルビッシュ有選手や大谷翔平選手らも、この手術を受けたことは有名です。

 

手術からリハビリを経て復帰するまでに長い時間がかかり、1シーズンを丸々棒に振ることも珍しくはありませんが、

 

投手としてより長く活躍するためにトミー・ジョン手術を受けるという選択肢は、もはや普通のことになってきたように思います。

 

さてそんなトミー・ジョン手術の名前の元となったトミー・ジョン氏、いったいどんな人物だったのでしょうか?

 

今回はトミー・ジョンについて詳しく見ていきます。

 

伝説の大投手、トミー・ジョン

トミー・ジョンとは、60年代~80年代にかけて、MLBで活躍したサウスポー投手です。

 

1961年、18歳の時にクリーブランド・インディアンスへ入団。20歳となった1963年シーズンにMLB初登板を果たします。

 

そしてそこから1989年に引退するまでの26シーズン、通算288勝を挙げた大投手なのです。

 


写真はドジャース在籍時(1972-1978)

 

驚くべきことに、トミー・ジョンは1974年、31歳となるシーズンに左肘の腱を断裂するという大ケガを負っています。

 

競技生活はおろか、日常生活にすら支障が出るレベルの大ケガだったといいます。

 

しかし1976年に復帰を果たすと、そこから13シーズンもプレーを続け、復帰後だけでも通算勝ち星の半分以上となる164勝を挙げたそうです。

 

キャリアハイとなる22勝を挙げたシーズンも、手術後の1980年のこと。当時37歳、まさに不死鳥のごとく投げ続けた投手でした。

 

世界初のトミー・ジョン手術

左肘の腱を断裂したとき、彼の治療に当たったのが当時ロサンゼルス・ドジャースのチームドクターを務めていたフランク・ジョーブ博士でした。

 

 

パワプロをプレイされている方ならおなじみ、ダイジョーブ博士のモデルとなった人物です。

 

 

ジョーブ博士はトミー・ジョンに対して、体の別の場所ある腱を彼の左肘に移植するという、世界初の手術を行いました。

 

当時としては成功率はほんの数%の見込みだったそうですが、手術は無事に終わり、その後の活躍も先述の通りです。

 

おそらくジョーブ博士からしても、想像以上の活躍だったのではないでしょうか。

 

 

この手術はこれ以降「トミー・ジョン手術」と呼ばれるようになり、今日に至るまで数多くの投手がこの手術を受けてきました。

 

日本でもマサカリ投法でおなじみ、村田兆治さんが 1983年(当時34歳)の時にこの手術を受けています。

 

まだ肘にメスを入れることもタブーとされていた時代、そんな中で日本人選手として初めてこの手術に挑みました。

 

84年のシーズン終盤に復帰し、翌85年には17勝を挙げて見事に大復活。そして1990年、41歳のシーズンまで現役を続けることができました。

 

 

95年にはダイビングキャッチで右肘靭帯断裂の大ケガを負った桑田真澄さんも、この手術を受けていますね。

 

復帰戦でマウンドプレートに右ヒジをつけたシーンは、あまりにも有名かと思います。さらにこの試合でも小フライに果敢にダイビングするシーンもありましたね。

 

もはやトミー・ジョン手術は、彼らを語るうえで欠かせないものとなっています。

 

 

そして時代は進んでいき、トミー・ジョン手術はかなり一般的なものとなりました。

 

MLBに挑戦した選手たちが、この手術に挑むというニュースも、珍しいことではなくなってきています。

 

長いリハビリ期間になりますが、リハビリ中のトレーニング論も確立されてきており、手術前より球速が上がったというケースも出てきているようです。

 

 

この手術を初めて受けたトミー・ジョン、この手術を初めて執刀したフランク・ジョーブ博士。

 

野球界に革命を起こした2人の名を、そこに至るまでの過程を、ぜひ覚えておいてください。

 

 

 

いかがでしたか?

かつて野球界に衝撃を与えた、まるで魔法のような手術も、今では一般的になってきました。

 

手術が前提みたいな風潮はちょっと怖いですが、長く活躍するためのハードルは大きく下がったように思います。

 

1人の投手の大ケガから球界に革命を起こしたトミー・ジョン手術。これからもきっと多くの投手を救ってくれると思います。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。