かつて中日ドラゴンズや阪神タイガースで活躍した福留孝介さん。

 

抜群のバットコントロールと勝負強さを持った好打者でした。

 

24年間の現役生活で、たくさんの名場面を見せてくれましたね。

 

ただ決して順風満帆だったわけではなく、時には苦しんだ場面もありました。

 

ですが必ず、そこからの復活を遂げています。

 

低迷から復活を遂げるその様子は、「福留曲線」と呼ばれることも。

 

「福留曲線」

 

いったいどのようなものなのでしょうか?

 

【生年月日】1977年4月26日

【身長/体重】182cm/90kg

【出身】鹿児島県

【高校】PL学園

【社会人】日本生命

 

福留曲線とは?阪神時代の華麗な復活劇

「福留曲線」

 

ツイッターを見ている限りですと、いろいろな使われ方をしていますよね。

 

ただもっともポピュラーな福留曲線としては、やはり阪神タイガース時代でしょう。

 

福留孝介さんは2008年からMLBへ挑戦、そして5シーズンをアメリカで戦った後、2012年のオフに阪神タイガースへ入団することが発表されました。

 

あの福留孝介が阪神に!?

 

福留孝介さんが中日ドラゴンズで全盛期を迎えていた2002年~2006年ごろ、阪神タイガースは散々彼に苦しめられましたから。

 

そんな男が阪神にやって来るだなんて、夢みたいな話です。

 

同じくアメリカから帰ってきた西岡剛さんとともに、打線の核になってくれるだろう。

 

そう期待していました。

 

 

 

しかしシーズンが始まっても、福留孝介さんの調子は一向に上がりません。

 

要所ではさすがの勝負強さを見せるシーンはありましたが、シーズントータルで見ると低調な数字に終わります。

 

2013年:63試合 打率.198(212-42) 6本塁打 31打点

 

まさかあの福留が2割も打てないなんて…

 

当時の阪神ファンの落胆は、もはや語るまでもありません。

 

 

阪神2年目となった2014年シーズンも、前年よりは復調した数字にはなりましたが、やはり期待から考えると物足りない数字ではありました。

 

2014年:104試合 打率.253(312-79) 9本塁打 34打点

 

ですがシーズンでは立て続けにサヨナラ打を放ったりなど、勝負強さも前年以上のものを見せます。

 

クライマックスシリーズの初戦(広島戦)では、PL学園の後輩・前田健太投手からバックスクリーンにソロホームランも放ちました。

 

この試合はこれが決勝点となり1 – 0で勝利すると、チームはその勢いのままクライマックスシリーズを突破

 

シーズン1位の巨人にさえ4タテを食らわせ、日本シリーズへの出場を果たしたのです。

 

これまで阪神は短期決戦に弱いイメージがあり、実際にセリーグにクライマックスシリーズが導入されてから、同シリーズを突破したことは1度もありませんでした。

 

それがいきなり日本シリーズまで駆け上がってしまったなんて。

 

流れを変えたのは福留孝介さんのあのホームランと言っても過言ではないのでは?

 

 

そして2015年はさらに成績がアップ。

 

打率も長打も両方の数字を向上させ、なんとチーム最多の20本塁打を放ちました。

 

20本塁打到達は中日に所属していた2006年以来、9シーズンぶり。

 

規定打席にも到達し打率は.281、阪神移籍後では最高となる数字を残します。

 

2015年:140試合 打率.281(495-139) 20本塁打 76打点

 

翌2016年シーズンはとうとう打率が3割に到達。打率3割も2006年以来10シーズンぶりとなります。

 

2016年:131試合 打率.311(453-141) 11本塁打 59打点

 

2017年シーズンにはいよいよ40歳を迎えましたが、その打棒は衰えず。

 

打率こそ落ちたものの、打点は阪神移籍後最多となる79打点を記録しました。

 

2018年シーズンも引き続き打線の中核を担い、打率.280の好成績を残しています。

 

2017年:127試合 打率.263(441-116) 18本塁打 79打点

2018年:123試合 打率.280(414-116) 14本塁打 72打点

 

 

1年目こそ「福留ももうダメか…」というような成績でしたが、そこから見事に持ち直し、長きにわたってチームを牽引しました。

 

阪神1年目の2013年から右肩上がりに打率を上げていったその推移は、「福留曲線」と呼ばれています。

 

 

WBCの復活劇も福留曲線?

ちなみにネットで言われる福留曲線は他にもあるみたいで、

 

例えば、かの有名な「生き返れ福留

 

2006年のWBCでの名実況ですよね。

 

この大会では福留孝介さんは3番・センターを任されながらも、大不振に陥ってしまいました。

 

チームは何とか奇跡的な展開で準決勝へと駒を進めましたが…

 

その時点までの福留孝介さんの成績は19打数2安打、打率.105、準決勝からは先発メンバーも外されてしまいました。

 

しかもその準決勝の相手は韓国。第1ラウンド・第2ラウンドともに辛酸をなめさせられた相手です。

 

絶対に勝たなければいけない試合、絶対に勝たなければならない相手。

 

そんな試合で先発を外されてしまい、だれよりも悔しかったことでしょう。

 

 

試合は日本先発の上原浩治さんが圧巻のピッチングを見せ、韓国打線を0点に抑えます。

 

しかし日本も韓国の投手陣をとらえきることができず、こちらも6回まで0に抑えられてしまいました。

 

流れが変わったのは7回表、先頭の4番・松中信彦さんが2塁打を放ち出塁します。

 

続く5番・多村仁さんは三振してしまいますが、続く6番・今江敏晃さんのところで代打・福留孝介さんが登場。

 

1-1からの3球目でした。

 

 

低めのストレートを振りぬくと、打球はライトスタンドへ。

 

苦しみながらも、ここ1番で会心の一振り。王貞治監督の起用にこたえる見事な一発でした。

 

このホームランで日本打線は勢いづき、この回一挙5得点の猛攻を見せたのです。

 

福留孝介さんは決勝のキューバ戦でも9回に代打で登場し、貴重な2点タイムリーを放っています。

 

 

 

そしてこの光景が2023年WBCの村上宗隆選手と重なって見えている方も多かったみたいで。

 

村上宗隆選手もすごく苦しんでいましたよね。

 

1次ラウンドから4番に据えられながらも、なかなかヒットが出ず。準々決勝のイタリア戦からは5番に打順が下がってしまいます。

 

そのイタリア戦こそ2本の2塁打を放つものの、準決勝のメキシコ戦では3打席連続三振と、まだ本調子ではないように見えました。

 

しかし1点ビハインドで迎えた9回裏、先頭の大谷翔平選手が2塁打で出塁すると、続く吉田正尚選手も四球を選び、ランナー1・2塁で村上宗隆選手が打席へ

 

やはり1-1から3球目、振りぬいた打球はセンターの頭上を越える大飛球に。

 

2塁から大谷翔平選手が生還、1塁から代走の周東右京選手も一気に生還。

 

逆転サヨナラタイムリーツーベースで、日本に劇的な勝利をもたらしました。

 

 

そして村上宗隆選手は決勝のアメリカ戦でも特大のホームランを放ち、世界一に貢献しています。

 

あまりにも重なるこの2人の姿に、準決勝の直後には「村上、福留曲線乗ったな」というコメントも見受けられていました。

 

 

他にもある?多数の福留曲線

この他にも内野から外野に転向してから打撃成績が飛躍的に上がったというケースも福留曲線扱いされていたりもします。

 

福留孝介さんは入団時のポジションはショート

 

打撃成績はそこそこだったものの、エラーも多く、絶対的なレギュラーとまではいかない選手でした。

 

しかし2002年から外野1本での起用となると、打撃も一気に開花。

 

打率.343で初の3割を達成すると同時に、首位打者も獲得するほどの活躍を見せたのです。

 

この首位打者は松井秀喜さんの三冠王を阻止するものでもありましたよね。

 

翌年には2年連続の3割に本塁打も34本放ち、3割30本を達成。

 

2006年には打率.351 31本塁打 104打点という3番打者として理想的過ぎる成績を残し、2度目の首位打者も獲得しました。

 

このように内野から外野にコンバートされて成績が飛躍的に上がるタイプの福留曲線もあるみたいです。

 

 

 

 

あるいはMLB時代の福留曲線もあるみたいで。

 

先述したように福留孝介さんは2008年からMLBでプレーされていました。

 

デビュー戦ではいきなりホームランを放つなど、鮮烈な活躍を見せましたね。

 

ですが4月までは好調をキープするものの、徐々に打率を下げ、最終的な打率は.257という数字に。

 

そしてこの「春先は好調だけど徐々に打率を下げて最終的には.260前後」というパターンがなんと4シーズン連続で続いたのですよね。

 

これもまた福留曲線と呼ばれています。

 

福留曲線にもいろいろあるんですね~

 

ですがそれだけ福留孝介さんが日本でもアメリカでも国際大会でも活躍してきた証というものでもあります。

 

今NPBで活躍する選手が、どの福留曲線になるか、注目ですね。

 

 

いかがでしたか?

MLBからNPBに戻り、1度はダメかと思われたところから華麗なる復活を遂げた福留孝介さん。

 

ですが阪神時代だけでなく、それぞれの時代で様々な活躍を見せました。だからこそ、こんなに多数の福留曲線が生み出されたわけです。

 

きっと福留孝介さんの残した実績は、これから先も語られ続けることでしょう。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。