西武ライオンズでは左のリリーフ投手として活躍、現在はボートレーサーへの転身を目指して活動している野田昇吾さん。
突然の戦力外通告から半年、新たな夢に向かって、日々努力を続けています。
なんといっても半年間で23キロもの減量、驚きましたよね。
いったいどれだけストイックになれば、そこまでの減量に成功できるのでしょうか?
【生年月日】1993年6月27日
【身長】166cm
【体重】52kg
【出身】福岡県糸島司
【高校】鹿児島実業
【社会人】西濃運輸
左の中継ぎとしてチームを支えた野田昇吾
2015年のドラフト会議にて、西武ライオンズから3位指名を受けた野田昇吾さん。
1年目から22試合に登板すると、2年目には38試合に登板して1勝0敗1ホールド 防御率1.98と好成績を残します。
このオフには侍ジャパンのメンバーにも選出されました。
そして2018年にはチーム2位となる58試合に登板して、1勝1敗1セーブ 19ホールド 防御率3.51の好成績を残します。
特に7月8月の安定感は抜群で、この2か月だけで19試合に登板して1勝0敗1セーブ7ホールド防御率0.61。
9月からは調子を落としてしまいますが、その代わりに打線が絶好調となり、そのままリーグ優勝まで突っ走りました。
野田昇吾さんの踏ん張りが、チームに好影響を与えたのではないでしょうか?
突然の戦力外通告
2019年シーズンは少し調子を落としてしまいますが、それでも23試合に登板。
この年のオフには、声優の佳村はるかさんとの結婚を発表し、さらなる飛躍が期待されていました。
しかし2020年はさらに登板機会を減らしてしまい、わずか3試合の登板でシーズン終了。
オフにはフェニックスリーグにも参加しましたが、わずか3日で帰京命令が出され、来季の構想外であることが通告されました。
えっ……あまりにも早すぎでは?
入団してまだ5シーズンながら140試合以上に登板した実績もあり、年齢だってまだ27歳。
まだまだこれからの選手だと思っていただけに、この戦力外通告には驚きました。
12月の合同トライアウトにも参加しますが、獲得する球団は現れず。
そのまま現役引退が表明されました。
野田昇吾がボートレーサーに転身!?
ですが世間をさらに驚かせたのは、その半年後のこと。
2021年7月12日、自身のツイッターでボートレーサー養成所の入所試験合格を発表したのです。
https://twitter.com/jetpack/status/1414736633090371602
この時にツイッターに掲載されていた写真、現役時代からは想像がつかないほどにほっそりとしています。
ボートレーサー試験を受けるために、なんと23kgもの減量を敢行したといいます。
ボートレースではレーサーの体重が勝敗に大きくかかわるため、男子選手はみな極限まで体重を絞っているのですが…
野田昇吾さんも半年間、極限状態の生活を送ってここまで絞ったといいます。
実際に半年間の生活もツイッターで紹介してくれていたのですが、とてもではありませんがマネできる内容ではありませんでした。
https://twitter.com/jetpack/status/1415163176820240385
脂肪よりも筋肉を落とす方がきつかったみたいで、ひたすらに有酸素運動をして筋肉を削り落としていたみたいです。
何度も倒れそうになりながらも、半年間を耐えきりました。
いったいどこまでストイックなんだ…
奥さんだってせっかく料理の腕を上げてサポート体制もバッチリだったのに、今度は減量のことを考えないといけないなんて…
(特訓後の佳村はるかさんの料理)
この腕前が存分に震えないなんて、ちょっと残念ですよね。
いやでも考えようによっては奥さんだってここまで料理上手になれたのですから、、、
(2013年ごろに生み出された問題作)
人間やればなんだってできるってことですね!
そういう意味でも、もしかしたら2人は似ているのかもしれません。
野田昇吾はどうしてここまでストイックなのか
冗談はさておき、どうしてここまでストイックになれるのか。
野田昇吾さんの人間性を語る上で、キーワードとなるのが「恩返し」という言葉です。
2020年11月、野田昇吾さんは球団から戦力外通告を受けるとともに、12月のトライアウトに向けて準備を始めました。
それと同時に、ボートレーサーへの転身もなんとなく頭に浮かんでいたといいます。
そして12月7日、トライアウトが終了するとすぐに減量を開始。
他球団からのオファー期限までは1週間ほどあったのですが、それを待たずに次に進み始めました。
「プロスポーツ選手でいたい」
スポーツ選手としての魂が、まだ野田昇吾さんの中に残っていたといいます。
ではなぜ、そこまでプロスポーツ選手にこだわるのか。
それこそが「恩返し」につながっていくのだと思います。
野田昇吾さんは生後7か月ごろ、川崎病に罹ってしまい42℃もの高熱に襲われました。
しかし医療機関の方々が迅速な処置をしてくれたおかげで、後遺症もなく回復することができたそうです。
そのこともあって、プロ野球選手になってからは「社会貢献」も目標の1つとしていました。
2020年シーズンからは、埼玉県の医療施設に「1登板につき5000円の寄付」をすることを掲げます。
しかしその年はわずか3登板に終わり、さらに戦力外通告まで重なってしまい…
このままでは終われないという気持ちが沸き上がってくるのも当然のことでしょう。
とはいえ寄付自体は一般人としてもできます。
野田昇吾さんがこだわっているのは、「プロスポーツ選手が寄付すること」の意義。
「プロスポーツ選手が寄付すること」によってより多くの人に関心を持ってもらえる。だからこそ、プロスポーツ選手であり続けたい。
その思いがあったからこそ、ボートレーサーという道が拓けてきたのかもしれませんね。
もちろん両親への恩返し、そしてファンやお世話になった人への「恩返し」も込められていることでしょう。
ボートレーサーとして活躍することが、これまでの応援してくれた人への何よりの恩返しになることは間違いありません。
https://twitter.com/jetpack/status/1446097798873579527野田昇吾さんホンマに応援してる!頑張ってほしい!!
— つープロスピ (@2222yowaiyo) October 7, 2021野田昇吾が養成所卒業してボートレース場で走ってたらそれだけで感動なんだが。
— ボートマン (@BOATRACEman1) September 30, 2021
ほんとに卒業してほしいし、頑張ってほしい!#野田昇吾
いかがだったでしょうか?
実はいまでも「野田昇吾 恩返し」で検索すると、ボートレーサー転身の記事に加え、西武ライオンズに入団した当時の記事も出てきたりします。
「恩返し」というのは野田昇吾さんの人生そのものなのかもしれませんね。
誠実な人間性を持ち、自分のため・誰かのためにストイックになれる野田昇吾さんなら、どんな世界でも成功してくれると信じています。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。