阪神タイガースのゴールデンルーキー・佐藤輝明選手。

 

いまNPBで最も注目を集めているのではないでしょうか?

 

でもあのスイング、あの打球を見てしまうと、注目せざるを得ないですよね。

 

しかしそんな佐藤輝明選手、大学時代こそとびぬけた存在だったものの、高校ではどうだったのでしょうか?

 

急激に伸びたのは大学からでも、高校時代からその片鱗を見せていたのでしょうか?

 

【生年月日】1999年3月13日

【出身地】兵庫県西宮市

【身長/体重】187cm/94kg

【高校】仁川学院高校

【大学】近畿大学

 

期待の新人・佐藤輝明

オープン戦ですでに6ホーマー!阪神タイガースのゴールデンルーキー・佐藤輝明選手。

 

まるで助っ人外国人かのようなスイングから、規格外の打球を飛ばします。

 

オープン戦の活躍なんて普段は参考程度にしかしないのですが、これだけの打棒を見せつけられたら、注目せざるを得ないですよね。

 

 

近畿大学時代からとびぬけた選手で、大学通算14本塁打。

 

しかも2020年の春季リーグが中止になったにも関わらずです。

 

1年生の時から4番に座り、チームを全国大会に導く活躍を見せました。

 

この当時から豪快なスイングは健在だったようです。

 

https://twitter.com/jetpack/status/899957566951665665

 

2年生の時にはもう大学日本代表にも選ばれています。

 

 

しかし下級生のころからこれだけ打てるのに、どうして高校時代にはプロから声がかからなかったのでしょうか?

 

1年生で4番に座るほどの逸材なんて、もっと注目されてしかるべきなのに。

 

いったい佐藤輝明選手の覚醒の瞬間はいつだったのでしょうか?

 

小学生時代から有望株だった佐藤輝明

佐藤輝明選手は小学生1年生の時に「甲東ブルーサンダース」で野球を始めました。

 

しかし当時から野球のセンスは頭一つ抜き出ていて、練習のたびにメキメキと上達。

 

小学4年生のころにはキャッチャーを任され、その強肩で盗塁をバンバン刺していたそうです。

 

ですがやはり目を見張るのは打球を飛ばす力。

 

もはや「ものが違う」というレベルだったらしく、小学6年生のころには公式戦だけで23本塁打という記録も残っています。

 

とんでもない存在ですね…

 

またこの年には阪神タイガースJrに選出されるなど、期待の選手でした。

 

 

しかし阪神タイガースJrでは大会直前に右ひじを故障。

 

試合に出場できる状態ではなくなってしまいます。

 

どうもこの時、右ひじの遊離軟骨が剥離する直前だったみたいで…

 

しばらくは満足に投げられないという状況でした。

 

地元の強豪シニアからも声がかかっていたものの、佐藤輝明選手はケガの治療を優先し、

 

進学先の西宮市立甲陵中学校の軟式野球部に入部するという選択をとります。

 

野球部では主にランニングなどの体づくりの練習をメインとし、ボールはおろかバットを握ることすらほとんどなかったそうです。

 

それだけケガの治療を優先していたということなのですが、中学生でその選択ができるというのがまずすごい。

 

 

中学2年生の秋、新チームになるころにはすっかりとケガも癒え、すぐさま野球部の中心選手となりました。

 

3年生になるころには4番・キャッチャーとして活躍。

 

チームを強豪校相手にも引けを取らないレベルにまで押し上げました。

 

高校時代のウエイトトレーニングで覚醒!?

高校は仁川学院高校へと進学。

 

こちらも野球強豪校ではなく、どちらかといえば進学校です。

 

どうやら一般受験で進学してきたそう。

 

野球部に関してはそれほど実績がなく、佐藤輝明選手が最初のプロ野球選手です。

 

 

仁川高校野球部では、1年生からベンチ入りし、2年になるころには4番も任されていました。

 

特に2年生の夏の大会、3回戦の村野工業戦では大活躍!

 

村野工業というと過去3度の甲子園出場を誇る県内の古豪、OBには広島東洋カープの野間峻祥選手など。

 

そんな村野工業高校相手に、佐藤輝明選手は5打数5安打2打点の大暴れを見せます。

 

この当時からその打棒には相当なインパクトがあったみたいです。

 

 

 

秋の大会からはキャッチャーのポジションも任され、チームの大黒柱を担います。

 

秋季大会のブロック予選では2回戦で関西学院相手に4-2の大勝利!

 

続く報徳学園戦は5-3で敗退となってしまいましたが、強豪校相手に十分互角に戦います。

 

 

 

そして佐藤輝明選手が本格的に覚醒するのはこの直後です。

 

2年の冬ごろからウエイトトレーニングに取り組み始め、多い時には週6回もトレーニングに励みます。

 

高校入学直後は175cm/65kgだった体は、このころまでに185cm/85kgと立派なものに

 

飛距離も格段にアップし、ホームランを量産するようになりました。

 

高校通算20本塁打のうち、15本が3年生の春以降とのこと。

 

トレーニング前にすでに5本も打っていたこと自体すごいですが…

 

(もともと飛距離は出るタイプだったらしい)

 

トレーニング後はさらなる進化をとげ、県内屈指の飛ばし屋へと成長しました。

 

 

 

それだけに、、、

 

結果が欲しかった。

 

佐藤輝明選手の3年生の夏の成績は、1回戦敗退。

 

それも11-1のコールド負けです。

 

もしこの大会で上位進出を見せるような勢いがあれば、その後の運命もまた変わっていたかもしれませんね。

 

実際このころには高校野球フリークの間では注目された存在になりつつあったのです。

 

 

 

さてこうして高校時代までを振り返ってみても、小中高それぞれの世代で飛びぬけた存在でした。

 

その中でもターニングポイントはやはり高2の冬~高3の春でしょうか?

 

大学で才能が花を開かせる、その下地がこの時期にできていたように思います。

 

しかし高校で暴れられなかった分、大学で暴れすぎたのか、もはや大学野球のスケールでは収まらない選手にまで成長してしまうとは。

 

プロでは大学以上の暴れっぷりを見せてくれるのでしょうか?

 

 

いかがでしたか?

高校時代は知る人ぞ知る好打者だった佐藤輝明選手。

 

子どものころからとびぬけた才能を持っていたようですが、その才能は大学で完全開花。

 

そしてプロの世界に殴りこんできました。

 

まだシーズンが始まってもいないのにこれだけの注目を集めていますから。

 

いったいどうなってしまうのでしょう。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。