野球日本代表チーム「侍ジャパン」の監督を務める稲葉篤紀氏。
現役時代から爽やかな風貌に、常に全力疾走の精神、稲葉ジャンプの応援もあって大人気でした。
引退後はキャスターとして活動した後、2017年より日本代表監督に就任しています。
そんな稲葉篤紀監督、右の頬にアザがありますよね?
現役時代からずっとあるアザですが、原因はいったい何なのでしょうか?
まずは稲葉篤紀監督のプロフィールから
【生年月日】1972年8月3日
【身長/体重】185cm/95kg
【血液型】O型
【出身地】愛知県北名古屋市
【出身高校】中京高校
【出身大学】法政大学
【所属球団】
ヤクルトスワローズ(95~04)
北海道日本ハムファイターズ(05~14)
現役時代はスター選手だった稲葉篤紀
稲葉篤憲監督は愛知県の北名古屋市出身。
少年時代にはイチロー選手と同じバッティングセンターを利用していたという話は有名ですよね。
会話こそなかったものの、当時からお互いに「すごい奴がいる」と認識していたそうです。
その後は中京高校から法政大学へと進学。
1年生の時から中軸を担い、3年生・4年生の時には日米大学野球の代表にも選ばれるほどの選手でした。
それでもプロに入れるかどうかは微妙なラインだったそうなのですが、4年生の明治大学戦でが転機になります。
この試合、たまたま野村克也監督が息子のカツノリさん(当時明治大3年生)の応援に駆け付けていたのですが、その野村監督の目の前でホームランを放ったのです。
しかも2本も!
結局この活躍が野村監督に強烈な印象を与えたみたいで、ヤクルトのスカウトリストに載っていなかったにも関わらず、ドラフト3位指名を勝ち取りました。
ヤクルトに入ってからは左の中距離打者として活躍。2桁本塁打をコンスタントに残せる外野手として、重宝されます。
特に2001年は.311 25本塁打 90打点という成績で、日本一にも貢献しました。
ただ打率には波があって、3割を超える年もあれば.260前後の率しか残せない年もあり、不動のレギュラーという感じではなかったですね。
それでも爽やかな風貌に、攻守交代時の全力疾走。当時スター揃いだったヤクルトにおいても高い人気を誇っていました。
2005年にFAで北海道日本ハムファイターズへと入団すると、打撃の安定感も格段にアップします。
長打力はそのままに、2006年~2009年まで4年連続の3割を達成!
特に2007年には打率.334に176安打で首位打者と最多安打の2冠も達成しました。
打席に入るたびにファンたちが一斉にジャンプする「稲葉ジャンプ」も誕生し、話題になりましたね。
2012年には2000本安打を達成!2013年には41歳シーズンながらWBCの日本代表にも選出!
間違いなく、平成を代表するスター選手でした。
そして2017年より日本代表チーム「侍ジャパン」の監督に就任し、2020年東京オリンピック、2021年WBCまでチームを率いる予定です。
稲葉篤紀の頬は太田母斑?
そんな稲葉篤紀監督ですが、やっぱり頬の色が気になっている方は多いみたいで。
私も初めて稲葉篤憲監督を見た時(ヤクルト時代)、やけに頬がこけてる人だな~って思いましたから。
でもよく見ると頬がこけているわけではなく、大きなアザだったんですね。
ご本人曰く、原因は不明。
お母さんのおなかの中にいるときに胎盤が癒着してしまったという説や、小さい時にやけどした説、顔に受けたデッドボールの跡説などいろいろありますが、
子供のころに気が付いたらアザができていた(生まれた時からあったわけではない)ということなので、どちらもないでしょう。
ただ症状の特徴から、おそらく「太田母斑」ではないかといわれています。
太田母斑というのは、顔周辺の皮膚がアザのように変色してしまう皮膚疾患の一種です。
症状は生後まもなくに出てくることがほとんどですが、思春期あたりから出てきたり、中には成人してから出てくるケースもあるといいます。
また顔の片側だけに症状が出てくることも特徴の1つでしょうか(両側に出ることは稀)。
メラニンを生成するメラノサイトが異常増殖してしまうことにより、その部分だけアザのように色が変わってしまうそうですが、根本的な原因は不明だそうです。
基本的に自然に治っていくことはありませんが、レーザー治療を受ければきれいな皮膚に戻すことはできるそうです。
ただ稲葉篤紀監督の場合、あえて治療をしていないといいます。
キャスターとしてテレビに出演していたころは、メイクをしてアザが目立たないようにしていましたが、それ以外の時はアザはそのままにしていますよね。
同じように顔のアザに悩んでいる人を勇気づけるため、そして両親への感謝のため、あえてアザを消さなかったそうです。
実は稲葉篤紀監督自身も、小学生時代にいじめにあっていました。
グループから無視されたり、物を取られたり…
小さい時って周りと違うっていうだけでいじめの対象になることがありますから。
お父さん曰く“もともと気が弱い子”だったそうですが、アザのせいで余計にいじめられやすかったのかもしれません。
ですがそんないじめを乗り越えることができたのも、ずっと寄り添ってくれた両親のおかげだといいます。
そしてなにより、自分を強くしてくれた野球のおかげでしょうか。
知らない人が見れば「なんだあのアザ」ってなってしまうかもしれませんが、そこには稲葉篤紀監督の決意が込められていたのです。
https://twitter.com/jetpack/status/932591822844473344稲葉監督の片側だけの頰のあざは太田母斑と言うもので治療しない理由が素敵だな・・・
— ジョニー (@akaisitagi) July 31, 2017
太田母斑によって同じように苦しんでいる人の励みになりたいという。
惚れた!
いかがでしたか?
同じ悩みを持つ人たちを勇気づけるため。
すごく素敵な理由ですよね~。
いち野球人としての生きざまがそこに詰まっているような気がします。
これから数年は監督として活動し、時には厳しい声も上がってくるかもしれませんが、頑張ってほしいですね。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。