シリアで拘束されていた安田純平さんが解放されてから約4か月。
今では各地で公演を行ったり、メルマガサービスを再開するにまで状態は回復したようです。
当時はまだ不正確だった情報も、徐々に明るみになってきています。
過去に何度も拘束されていたことから「人質ビジネス」なんて言葉が生まれたり、自己責任という言葉も1人歩きして大バッシングされた安田純平さんですが、今後はどんなことを語ってくれるのでしょうか。
まずは安田純平さんのプロフィールから
【生年月日】1974年3月16日
【身長】175cm
【出身地】埼玉県入間市
【出身大学】一橋大学社会学部
【職業】フリージャーナリスト
新聞社からフリーのジャーナリストへ
安田純平さんはフリーランスのジャーナリストです。
大学を卒業し、1997年に信濃毎日新聞社に入社するのですが、さまざまな取材を行っていく中で
「自分の身の回りの出来事と世界はどうつながっているのか」
ということが知りたいと思い、海外へと赴くようになったそうです。
当初は会社に所属しながら休暇を使ってイラクやアフガニスタンの取材へ行っていたのですが、2003年に退社。
ここからフリーのジャーナリストととして活動するようになりました。
3年4か月に及ぶシリアでの拘束
しかしそんな安田純平さんが痛烈に批判されてしまうきっかけとなったのが、2015年5月から約3年4か月も続いたシリアでの拘束です。
安田純平さんは武装勢力の「自由シリア軍」やイスラム教の過激派組織「イスラム国」に関する新たな資料を入手し、シリアへと取材へ赴くことを決意しました。
なんでも単なる過激派組織と思われた「イスラム国」が、ひと月の予算や構成員の給料までしっかりと定められており、もはや1つの国家のような体系をなしていたことに興味をひかれたそうです。
しかしシリアへと入る手段を探っていたところ、依頼したガイドに騙されてしまいます。
車で全く別の土地に連れていかれてしまい、荷物まで奪われ、民家で監禁状態に。
最初はスパイ容疑で捕まったそうですが、その容疑が晴れてからも解放されることはありませんでした。
それでも当初はゲスト扱いで、食事もきちんとしたものが出され、テレビを見ることもできたそうです。
しかし日本政府へ身代金を要求しても政府が一切の反応を示さなかったため、徐々に扱いが悪くなっていきます。
何度も別の監禁場所に移されては、日本政府へ送るビデオメッセージなどの撮影に付き合わされ、解放されそうな雰囲気は一切なかったといいます。
次第に嫌がらせや拷問も始まっていき、最終的には狭い部屋の中で身動き一切取れない状態にまで追い込まれていたとのこと。
鼻水をすすったり、唾をのんだり、ちょっと動いた拍子に関節がなってしまうことすらアウトだったといいます。
しかし2018年に入ったころ、拘束した勢力から日本へ帰すといわれました。
勢力側も安田純平さんを拘束することが負担になってきていたのでしょうか。
実際にはそこから数か月間は全く帰れる気配もなかったそうですが、10月になってようやく帰国が決定しました。
帰国決定も日本ではバッシングの数々
しかし安田純平さんが帰国すると報道された後、日本では批判的な声が次々に飛び交いました。
もっとも大きな理由が3億4千万といわれた身代金です。
安田純平さんは元々「自己責任」という言葉を何度も使っており、自身の活動を邪魔する日本政府を痛烈に批判していました。
しかしいざ拘束されると、身代金を支払ってもらって解放されています。
あれだけ批判した政府に命を助けてもらうのはどうなのかと、痛烈に批判を浴びました。
また安田純平さんが拘束されるのはこれが初めてではないという点も、批判を大きくした要因です。
2003年に少なくとも3度、2004年にも1度、取材先で拘束されていて、そのたびに解放されているのです。
一部では「わざと拘束されて身代金の一部を受け取っているんじゃないか」「人質ビジネスだ」なんて批判も飛び出しました。
もちろんそんなはずはないのですが…
1人の命が助かったにも関わらずこれだけの批判、その光景はもはや「異常」というほかありませんでしたね。
支払われなかった身代金・自己責任の1人歩き
しかし解放から4か月ほどの時間がたち、さまざまなことが明らかになってきました。
まず3億4千万円という身代金ですが、これが支払われた事実はないとのこと。
そもそもこの身代金も日本政府ではなくカタール政府が肩代わりしたといわれていたのですが、この情報もソースが確かではなく、実際にはカタール政府が支払ったという明確な証拠すらも出てきていないそうです。
もともと日本政府としては「海外の邦人は保護する」方針ですが、「身代金の支払いには応じない」方針でもありますから、その方針通りに動いていたとも言えますね。
それに安田純平さん自身、身代金の支払いは望んでいませんでした。
組織から奥さんへメールを送るよう指示されたときも、「Okuhouchi(自分のことは放置するように)」と暗号を送っていたくらいです。
助けを求める映像が撮影されたのも、勢力側からの指示であって、安田純平さんの本位ではなかったと思います。
結果的にこの映像が「自己責任」という言葉の批判の的になってしまったわけですが…
たしかに安田純平さんの行動には「自業自得」な部分もあったと思いますし、そこについては批判されるのも無理はありません。
ですが彼の経験はとても興味深く、これもまた貴重な情報であるといえます。
本来の取材目的とはまた違った情報かもしれませんが、誰かが行かなければ知ることができない情報を伝えてくれています。
これもまたジャーナリストの使命といえるのではないでしょうか。
“安田さんたち、戦場ジャーナリストたちがいるから、私たちも「事実」を知ることが出来ている。私たちの代わりに、現地に行って、そこで何が起きているのか?何があるのかを伝えてくれている。それなのに、彼らたちの「仕事」というより「使命」を、理解していない人が多いと思う”
— 市川 滋也 (@ShigeyaIchikawa) January 14, 2019
本文より https://t.co/BcCfTAI8O4血抜きされ、さらに漂白された
— J i n . r(Tani jin) (@JqoGnjRJc7QMag8) November 16, 2018
海外の映像や情報を買い漁る。
自国の報道スクリーンを通し
加工処理された
情報に真実は読み取れるのか⁉︎
リスクの伴わない成果はない。
爆撃の下の真実を伝える業が
ジャーナリストの使命だと思う。
安田純平さんは胸を張れ。
いかがでしたか?
生きて帰ってきたにも関わらず、痛烈に批判された安田純平さん。
たしかに批判されるべき部分もありましたが、貴重な情報を持ち帰ってくれたのも事実です。
今後はさらに詳細な話が聞けるのではないでしょうか。
最後までお読みいただき、ありがとうございました。