2025年6月10日、脚本家のジェームス三木さんが逝去されました。

 

澪つくし」「独眼竜政宗」など、数多くのヒット作を手掛けてきたジェームス三木さん。

 

プライベートではお騒がせなところもありましたが、その実、愛に溢れた人物だったのではないかと思います。

 

特に感じたのが母校に対しての愛

 

ジェームス三木さんは大阪府立市岡高校を中退というのが最終学歴ですが、経歴のいろいろなところに母校の影響があるように思います。

 

今回はジェームス三木さんと市岡高校についてまとめてみました。

 

【生年月日】1934年6月10日

【生誕地】満州国奉天省

【出身地】大阪府茨木市

【高校】大阪府立市岡高校(中退)

 

大阪府立市岡高校を中退したジェームス三木

ジェームス三木さんが通っていた高校は大阪府立市岡高校

 

1901年創立の伝統校で、野球部も古豪として知られていますね。

 

2024年には秋季大会でベスト16に入り、選抜甲子園の21世紀枠の大阪府推薦校にも選ばれていました。

 

 

ジェームス三木さんは市岡高校在学中、演劇に熱意を注いでいました。

 

高校2年生の時に、演劇部で自ら主演と演出を手掛けた作品が大阪府高校演劇コンクールで1位に。

 

そしてこれをきっかけに俳優の道を志すようになったそうです。

 

高2の冬に劇団俳優座の養成所試験を受けると、12倍の倍率を勝ち抜き見事に合格。

 

そして高3の5月に市岡高校を中退して上京したそうです。

 

澪つくしで脚本家として大ブレイク

俳優としてはなかなか芽が出ず、その後は歌手小説家としても活動していました。

 

しかし、やはり彼の本領は「脚本家」でしょう。

 

1967年、まだ歌手として活動していた時期に「月間シナリオ」コンクールに入選。

 

この作品が映画監督・野村芳太郎さんの目に留まり、脚本家として師事するようになります。

 

1969年、映画「優月」で脚本家デビュー

 

コメディを描いたり、人情劇を描いたり、様々なジャンルの脚本を手掛けます。

 

ドラマに映画にと、70年代だけで30作品以上に携わりました。

 

 

83年には脳腫瘍で入院という時期もありましたが、そこから復帰後の活躍が見事でした。

 

85年、NHK連続テレビ小説「澪つくし」の脚本を担当。

 

このドラマが最高視聴率55.3%平均視聴率でも44.3%を記録する大ヒット作品となりました。

 

 

大正末期から終戦後の昭和という激動の時代という中で、「純愛」を描いたこのドラマ。

 

主人公のかをるを演じる当時20歳の沢口靖子さんの初々しい演技も相まって、多くの人の胸を打ちました。

 

 

しかしこのドラマのテーマは純愛のみにあらず。

 

劇中の時代(大正~昭和)だからこその苦難に加え、放送当時(85年)の社会的な課題である男女格差問題なども絡めて描かれていたのです。

 

そういった細かい部分の描写こそがジェームス三木さんの本領なのだと、そう思わされた作品でした。

 

校歌の歌詞にも使われていた澪標(みおつくし)

そしてこの「澪つくし

 

実はジェームス三木さんの母校である市岡高校の校歌にも使われている言葉です。

 

 

澪(みお)」というのは、川や海の水路、特に船が通るような深い部分を指す言葉です。

 

なので「澪標」というのは、その名の通り澪の標(しるし)、航路を示す目印として使われていました。

 

古くより大阪を中心に設置されており、澪標の形がそのまま今の大阪市の市章にもなっています。

 

 

 

ちなみに歌詞に出てくる「東大湖」というのは琵琶湖のことで、「澱江」は淀川のこと。

 

琵琶湖から流れ出た水はゆっくりと西に向かい、淀川でも流れを止めることなく澪標にたどり着き、やがては広い海へ。

 

学生たちのたゆまぬ努力を水の流れに例え、澪標はその目標や道しるべ的な比喩として使われています。

 

そしてそこにたどり着いた後も努力を止めることなく、さらに広い世界(海)へと向かってほしい。

 

そういった意味が込められているのでしょうか?

 

水の都・大阪らしい、素敵な歌詞ですね。

 

この校歌が制定されたのは明治39年(1906年)のこと、その当時は今よりもずっと水に囲まれていたといいます。

 

澪標というのも、実は市岡高校のみならず、大阪市内の学校の校歌によく使われる言葉だったりします。

 

 

この校歌が朝ドラ「澪つくし」のタイトル決定にどれだけ影響があったかは分かりません。

 

インタビューでもちょこっと触れられていた程度でしたし。

 

ドラマの「澪つくし」は「身を尽くし」という言葉ともかけられていて、かをるの献身的な姿勢を表現するのにぴったりな言葉です。

 

またドラマの舞台となった千葉県銚子市も、古くから漁業が盛んな都市。かをるが想いを寄せる惣吉も漁師でした。

 

利根川の河口部に位置する銚子市では、水害事故も少なくなかったといいます。

 

様々な困難に立ち向かいながら、惣吉を想い続けるかをるの姿も、また澪標のイメージと重なるのではないでしょうか?

 

経歴のいたるところに市岡高校との関わりが

ちなみに余談になりますが、澪つくしでかをるが働いていた醤油醸造元「入兆

 

その入兆の当主・坂東英一郎の妻・坂東千代を演じていた岩本多代さんも市岡高校の卒業生だったりします。

 

(学年でいえばジェームス三木さんの4年後輩)

 

岩本多代さんはその後も「独眼竜政宗」や「葵 徳川三代」など、ジェームス三木脚本の作品に出演されています。

 

 

 

さらに話は変わりまして、ジェームス三木さんはプロ野球ではヤクルトファンだったといいます。

 

2015年の週刊文春の記事曰く、当時で30年来のファンとのこと。

 

もしかすると、、、

 

市岡高校から最後にプロ入りした南秀憲さん、彼がヤクルトスワローズに指名されたことがきっかけでヤクルトファンになったのでしょうか?

 

(78年のドラフト2位)

 

さすがにそれはちょっとこじつけかな~?

 

 

でも95年に市岡高校野球部が春の選抜甲子園に出場した時は、ちゃっかり応援席にいたそうです。

 

 

 

 

また市岡高校には校歌とはまた別に応援歌「花になれ」という曲があります。

 

この曲の作詞を担当したのがジェームス三木さんだったりします。

 

 

やはり知れば知るほど、母校への愛があふれた人だったんだなという印象があります。

 

卒業こそしていないものの、いたるところで市岡高校との関わりが感じられます。

 

きっと同校卒業生の活躍は、ジェームス三木さんにとっても嬉しい事のはず。

 

みんなで紡いできた伝統が、これからも続いていってほしいですね。

 

https://twitter.com/jetpack/status/1322481525573627905

 

いかがでしたか?

かつて大阪府立市岡高校に通っていたジェームス三木さん。

 

俳優を志すため中退してしまいましたが、その後の経歴からは市岡への縁と愛情をすごく感じました。

 

偉大な人物を輩出した市岡高校、後輩たちもこれから頑張っていってほしいですね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。