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2024年、日本シリーズ。セリーグ3位からの見事な下克上を果たした横浜DeNAベイスターズ。

 

MVPに輝いたのは1番・センターとしてチームを牽引した桑原将志選手でした。

 

2連敗後にはチームを鼓舞する言葉をかけ、プレーでもその姿勢を見せた男。

 

いつも明るいムードメーカーも、このシリーズでは顔つきが違いましたね。

 

ですがそんな桑原将志選手も、プロでは幾度となく挫折を味わってきました。

 

1度つかんだレギュラーの座を失うも、そこからまた這い上がってきたのです。

 

今回はそんな桑原将志選手についてまとめてみました。

 

【名前】桑原将志 (くわはら まさゆき)

【生年月日】1993年7月21日

【出身】大阪府和泉市

【高校】福知山成美高等学校(京都)

【身長/体重】174cm/80kg

 

横浜の熱きムードメーカー・桑原将志

ハマのガッツマン、桑原将志選手。

 

いつも明るいムードメーカーのような存在で、チームを盛り立ててくれています。

 

横浜スタジアムで試合が行われる際、試合後の監督インタビューが行われるブースがロッカールームの近くにあるのですが、

 

勝った時は監督のインタビュー中に選手たちの歓喜の声が聞こえてくることもしばしば。

 

あまりにうるさすぎて三浦大輔監督がちょっと笑っちゃうときもありますw

 

そしてその歓喜の中心にいるのが桑原将志選手なのです。試合前も試合中も試合後も、いつもチームを盛り上げてくれています。

 

 

パリーグファンの方にもきつねダンスの動画でおなじみでしょうか?

 

2024年の交流戦、今年はエスコンフィールドで日本ハム-DeNAベイスターズの試合が行われたのですが

 

イニング間のきつねダンスパフォーマンスの際に、ベンチでハイテンションで踊る桑原将志選手の姿が。

 

新庄剛志監督もインスタグラムで「桑原君いいね~最高」と反応をくれたり、パリーグTVでも取り上げられたりして、話題をかっさらいました。

 

 

 

 

そんな桑原将志選手、日本シリーズでは1番センターとして獅子奮迅の活躍を見せました。

 

開幕から2連敗を喫するも、選手会長である牧秀悟選手の発案で7年前の日本シリーズを知る先輩から意見を聞くことに。

 

そこで桑原将志選手が放った言葉

 

「悔しくないんか!」

 

するとこの言葉からチームが奮起。

 

桑原将志選手も直後の試合でホームランにファインプレーに、プレーでもチームを鼓舞します。

 

そして3戦目にてシリーズ初勝利をつかみ取ると、なんと勢いそのままに4連勝してしまい、一気に優勝まで走り抜けてしまいました。

 

結局このシリーズで桑原将志選手は打率.444(27-12) 1本塁打 9打点の活躍。6試合で9打点は長嶋茂雄さん、ランディ・バース氏と並ぶシリーズタイ記録だそうです。

 

試合後にはMVPの発表がありましたが、もう本人含めて全員が確信していたでしょうね。

 

(なお「悔しくないんか!」は実際には言っていないそうです)

 

若くしてセンターのレギュラーをつかむ

しかしそんな桑原将志選手も、決してここまで順調に歩んできたわけではありません。

 

石井琢朗コーチが(ビールかけでベロベロになりながら)言っていたように、腐ることなくここまで努力を続けてきた選手なのです。

 

 

桑原将志選手が横浜DeNAベイスターズに入団したのは、中畑清政権1年目の2012年のこと。

 

高校時代はショートだったそうなのですが、プロ入り後はセカンドと外野を中心に出場していました。

 

そして3年目から外野1本に絞ると、その年から1軍での出場が増加。

 

2014年に53試合2015年には60試合と、順調に経験を重ねていきます。

 

そしてラミレス政権に変わった2016年、この年からレギュラーに定着しました。

 

開幕当初こそ乙坂智選手との併用が続いていましたが、6月からはレギュラーを盤石のものにします。

 

そのきっかけとなった試合は、6月24日の巨人戦でした。

 

1番センターで先発出場した桑原将志選手、第1打席でいきなりヒットを放つと、2打席目でも満塁のチャンスに2点タイムリーと結果を残します。

 

さらに第3打席、再び満塁で回ってくると、今度はレフトスタンドへホームラン

 

この試合3安打6打点の活躍を見せ、以降の試合ではすべて1番センターで出場しました。

 

実はこの試合、相手投手は菅野智之選手だったのですね。

 

その日まで5勝3敗 防御率0.88の成績を残していた菅野智之選手を、この試合では2回1/3を9失点でノックアウト。

 

防御率は一気に1.64まで膨れ上がらせました。

 

菅野智之選手から満塁ホームランを放つ桑原将志選手の姿、いまも目に焼き付いている人は多いのではないでしょうか?

 

2024年のCSでの最終戦、9回表、ランナー2塁のチャンス、マウンドには菅野智之選手、打席には桑原将志選手。

 

このシチュエーションで当時のことを思い出したのは私だけではないと思います。

 

(結果はサードゴロでしたが、森敬斗選手の好走塁もあってランナー3塁、そして牧秀悟選手のタイムリーが生まれました)

 

 

ちなみにですが、桑原将志選手、翌2017年も巨人戦で満塁ホームランを放っています。

 

7月1日の巨人戦でのこと。

 

この日も1番センターで出場していた桑原将志選手は、第1打席で先頭打者本塁打を放ちました。

 

その後は両チーム1点ずつを追加し、2-1とベイスターズ1点リードで終盤戦に入ります。

 

しかし7回、ここまで好投していた石田健大選手が捕まってしまい、一挙3失点。2-4と試合をひっくり返されてしまいました。

 

ですが9回、相手守護神のカミネロに対して満塁のチャンスを作ると、打席には桑原将志選手。

 

初球を振りぬいた打球はDeNAファンの待つレフトスタンドへ。あまりにも劇的な勝ち越しの1打となりました。

 

この日の桑原将志選手は先頭打者本塁打に勝ち越し満塁本塁打、1人で試合を決める活躍でヒーローとなります。

 

7月の月間成績も打率.389(90-35) 6本塁打 14打点と好成績を残し、月間MVPを獲得。

 

桑原将志選手、たまにバースみたいな成績を残しますよね。

 

そしてこのころから夏男のイメージが付くようになりました。

 

この年の桑原将志選手は1番センターで全試合スタメン出場。チームも3位からクライマックスシリーズを勝ち上がり、日本シリーズにも進出しました。

 

背番号も翌シーズンから「1」に変更されるなど、フロントからもチームの顔として認められます。

 

 

ポジション争いの末にレギュラーから降格

しかし、ここから徐々に成績が下降線に入っていきます。

 

2018年は新加入した神里和毅選手がオープン戦から好調、さらに5月からはネフタリ・ソト選手がライトの守備位置につく関係で外野の枠が減少。

 

レフトには筒香嘉智選手がいたため、センターの1枠を巡って桑原将志選手・梶谷隆幸選手・神里和毅選手の熾烈な争いが勃発します。

 

夏男の本領を発揮して7月から打撃好調になり、1番センターの座を確保しますが、最終的には規定打席には届かず。

 

128試合の出場で打率.261(379-99) 9本塁打 26打点と全体的に成績を落としてしまいました。

 

 

2019年は神里和毅選手がレギュラーに定着し、桑原将志選手の出番は激減。

 

代打や代走・守備固めなど何かしらの仕事はあったのですが、スタメンでの出場機会はかなり限られたものになりました。

 

4月下旬には数年ぶりに2軍降格。結局この年は1軍と2軍の行き来が4度もありました。

 

さらに流れの悪いことに、2軍調整中だった9月8日、交通事故を起こしてしまいます。

 

コンビニに止めていた車を出発させようとした際、後方の車に衝突してしまったみたいです。

 

双方にけがはなく、その後の対応や球団への報告には問題がなかったのですが、何かとマイナスな出来事が続いてしまいます。

 

 

2020年にはさらに出場機会が減少。

 

神里和毅選手、梶谷隆幸選手、ネフタリ・ソト選手がそれぞれ好調をキープ

 

梶谷隆幸 109試合 打率.323(433-140) 19本塁打 53打点

ネフタリ・ソト 141試合 打率.269(516-139) 43本塁打 108打点

神里和毅 80試合 打率.308(169-52) 3本塁打 17打点

 

さらに梶谷選手と神里選手を両方起用するにしても、ソト選手をセカンドに回すという布陣となり、桑原将志選手のポジションはかなり厳しいものとなりました。

 

2度のやらかしの末に完全復活

しかし2021年、ようやくガッツマンが返ってきました。

 

この年に残した成績は

 

135試合 打率.310(519-161) 14本塁打 43打点

 

梶谷隆幸選手がFAで巨人へ移籍したこともあって、再びセンターのレギュラーに定着。

 

そして自己最高の成績を残しました。

 

 

ですが、ある意味では1番苦しかったのがこの年なのではないかとも思います。

 

実はこのシーズン、守備・走塁で立て続けに“やらかし”をしてしまいました。

 

5月12日の巨人戦、5-5の同点、ランナーなしの状態から打席に入った桑原将志選手。

 

打ち上げた打球はフラフラと1塁後方へ、しかしファーストとセカンドがお見合いしてしまい、これを直接捕球することができず。

 

バッターランナーは一気に2塁へ、

 

といきたいところだったのですが、桑原将志選手は打球が上がった瞬間にスピードを緩めてしまい2塁へ行けず

 

記録としてはセカンドへの内野安打。

 

ですがその後は勝ち越しの1点を取ることができず、試合は引き分けに終わってしまいます。

 

2021年シーズンもまだ延長戦が行われず同点でも9回で終了というルールだったので、あの打席が最後のチャンスだったのですね。

 

なのでランナー1塁か2塁かで大きく変わっていたのです。

 

三浦大輔監督は試合後「二度とするな」と桑原選手を叱責。

 

しかし次の事件はその2週間後に起きてしまいます。

 

5月26日のオリックス戦、0-4とビハインドの2回表に事件は起きました。

 

2死満塁の状況でマウンドには中川虎大選手、打席には7番のスティーブン・モヤ選手。

 

打球は平凡なセンターフライとなり、見事にピンチ脱出…かと思いきや桑原将志選手がまさかの落球

 

3人の走者が全員返ってくる痛恨のタイムリーエラーとなってしまいました。

 

桑原将志選手はその後、3回裏に打席が回ってくるも凡退。次の守備から神里和毅選手へ交代となってしまいました。

 

ついに懲罰交代

 

「あ、クワ終わったな」と、つい思ってしまったものです。

 

次の試合以降はスタメンに神里和毅選手や関根大気選手が名を連ね、桑原将志選手の出番は代走・守備固めのみとなってします。

 

でも桑原将志選手のこういったプレー、これが最後だったように思います。

 

 

この年はまた6月からスタメンに名を連ね、夏男の本領発揮。

 

バッティングで好調なところを見せ、最終的にはキャリアハイの成績を残します。

 

そして守備でも走塁でもガッツあふれるプレーを見せるようになります。

 

ここが桑原将志選手のすごいところですよね。ああいったミスの後にはどうしても消極的になりがちですが、桑原将志選手はむしろ積極果敢なプレーを見せていました。

 

 

翌年以降もセンターの1番手として活躍します。

 

打撃成績が落ちてしまい2022年・2023年と続けて打率が.250前後となってしまいましたが、それでも規定打席に到達。

 

絶対的なレギュラーというわけではありませんでしたが、守備に関してはどの選手よりも高い信頼を得ていたと思います。

 

2024年シーズンは蝦名達夫選手や梶原昂希選手らの台頭もあって出場機会は減っていきましたが、それでも要所で活躍を見せました。

 

そして日本シリーズでのあの活躍、石井琢朗コーチのあの言葉。ここまでの道のりを知っていると、感動もひとしおです。

 

ですがここで終わりではなく、まだまだこれからも楽しみな選手です。

 

ここから始まる将志の宴 何時に終わるか分からない

 

来期以降も、その持ち前のガッツでチームを引っ張ってほしいですね。

 

 

いかがでしたか?

様々な経験を経て、日本シリーズMVPを獲得するまでとなった桑原将志選手。

 

1度つかんだレギュラーが手からこぼれ落ちてしまった時期もありましたが、その時の経験もまた糧となっています。

 

ガッツマンであり、若手のお手本でもある桑原将志選手。

 

これからの活躍にも期待ですね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。