2024年9月8日、事件が起きました。

 

阪神タイガース・佐藤輝明選手が、サードフライをおでこにぶつけたのです。

 

プロ野球ファンであれば誰もが知るあのおでこキャッチを再現してしまいました。

 

令和のヘディング事件ともいえるプレー。

 

今回は優勝に向けて1試合も落とせないという状況でこの事件が起きましたが、あの当時もこういった緊迫した試合の中で起きたのでしょうか?

 

今回は伝説のあのプレーについて振り返ってみました。

 

【生年月日】1999年3月13日

【出身】兵庫県西宮市

【高校】仁川学院高校

【大学】近畿大学

 

佐藤輝明のおでこにボールが直撃

2024年9月8日に行われた阪神タイガース-東京ヤクルトスワローズの1戦。

 

0-2と阪神ビハインドで迎えた3回でした。

 

ヤクルト・長岡秀樹選手の放った打球は、力なく3塁後方へ。

 

サード・佐藤輝明選手、後方へ追いかけ落下地点へ。しかしボールをグラブに収めることができず、なんとおでこにぶつけてしまいます。

 

ショート方向へ転がった打球を木浪聖也選手がカバーし、2塁まで進まれることはありませんでしたが。

 

佐藤輝明選手にとっては12球団最多を独走する23個目のエラーとなってしまいました。

 

 

さらに悲しいことに、阪神先発の西勇輝選手が踏ん張ることができず、澤井廉選手にプロ初本塁打となるスリーランを献上。

 

3回にして5点のビハインドを背負う苦しい展開となってしまいました。

 

優勝に向けてもう1戦も落とせないという状況で飛び出したこのエラー。5連勝中だったチームの勢いをそぐ結果にならなければいいのです。

 

おでこキャッチの祖・宇野勝

ボールをおでこでキャッチするその姿に、あるレジェンド選手を想いおこすファンの方も多かったと思います。

 

そう、宇野勝さんです。

 

 

かつて中日ドラゴンズで活躍し、ショートとして初めて本塁打王を獲得した選手でもあります。

 

(※1984年37本塁打で本塁打王を獲得)

 

ショートで本塁打王に輝いたのは、後にも先にも宇野勝さんしかしません。

 

 

さてその宇野勝さんですが、やはり彼の代名詞といえばショートフライのおでこキャッチかと思います。

 

もう何度も何度も珍プレーとして取り上げられ、平成生まれのプロ野球ファンでも知っているほど。

 

Wikipediaでは「宇野ヘディング事件」の個別ページが作られているほどです。

 

もはや単なるエラーではありません。1つの事件として語り継がれています。

 

星野仙一を激怒させた宇野ヘディング事件

元祖ヘディング事件が起きたのは1981年8月26日、中日ドラゴンズ-読売ジャイアンツとの一戦でした。

 

実はこの当時、巨人は前年の1980年8月4日から連続試合得点記録を続けていました。

 

つまり1年以上完封されていないということなのですね。

 

そしてその記録を止めるべく、闘志を燃やしてマウンドに上がったのが星野仙一さんです。

 

試合は中日が2点をリードし、そのまま後半戦へ。星野仙一さんは巨人のスコアボードに0を並べていました。

 

しかし7回、2死2塁のピンチを迎え、バッターボックスには山本功児さん。

 

ふらふらっと上がった打球はショート後方へ、宇野勝さんは落下地点へ向かうと捕球体勢に入ります。

 

しかし打球はグラブに入らず宇野勝さんのおでこに直撃。

 

 

ボールはレフトの方向へ勢いよく跳ね、なんとフェンスまで到達。

 

ショート後方までカバーに来ていたレフトの大島康徳さん、慌ててフェンス方向に逆戻り。

 

2塁ランナーは当然生還、決死の中継プレーで何とかバッターランナーの生還までは阻止しましたが、

 

星野仙一さんは思いきりグラブを地面にたたきつけて悔しさをにじませていました。

 

 

ただ後続を打ち取り追加点は許さず、この試合は2-1で中日ドラゴンズが勝利しています。

 

事件が起きたときの状況は?

この当時、宇野勝さんはレギュラー定着3年目

 

128試合 打率.282(429-212) 25本塁打 70打点と3部門すべてで当時の自己最高の成績を収めていました。

 

一方の星野仙一さんは、81年時点でプロ13年目のベテラン

 

この年は23試合に登板して10勝9敗 防御率3.93と、キャリア8度目にして最後の2桁勝利を記録しています。

 

 

ただチーム状況はというと、この年の中日ドラゴンズは5位。優勝は読売ジャイアンツが飾っています。

 

投手では江川卓さんが20勝6敗 (勝率.769) 防御率2.29 221奪三振で投手4冠を達成。西本聖さんも18勝を挙げる活躍を見せています。

 

野手では原辰徳さんのルーキーイヤーで、篠塚和典さんも打率.357で大ブレイク、中畑清さんも絶好調でした。

 

王貞治さんが80年に引退した翌シーズンのことでしたが、今思うとスターぞろいでしたね。

 

 

佐藤輝明選手のケースとは違い、優勝争いのさなかで起きた事件というわけではなかったのですね。

 

ですが改めて見ると、おでこに当たった直後のボールの跳ね具合といい、星野仙一さんがグローブを叩きつけるまでの流れといい、なんだかんだで試合に勝っているところといい。

 

やはり宇野勝さんの方が芸術点が高い。後世まで語り継がれるだけのことはあります。

 

佐藤輝明選手のプレーも、阪神が優勝すれば笑い話になると思います。

 

バットの方で、チームに勝利をもたらすことができるでしょうか。

 

 

いかがでしたか?

図らずも伝説のプレーの再現となってしまった佐藤輝明選手。

 

佐藤輝明選手のケースでは敗戦につながるプレーとなってしまいましたが、それでも最後に優勝すれば笑い話になると思います。

 

やらかしてしまったミスはもう取り消すことはできませんが、打ちに打ちまくって残り試合の勝利に貢献することはできます。

 

佐藤輝明選手のバットで2年連続の”アレ”、”アレンパ”を実現することはできるでしょうか。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。