大阪を代表するローカルタレントの1人である上沼恵美子さん。

 

歯に衣着せぬトークが大阪で長年人気を誇る秘訣なのでしょうか?

 

全国的にはM-1グランプリの辛口審査員というイメージかもしれませんが、若かりし頃は漫才界に大きな影響を与えたすごい漫才師でもありました。

 

現在の大御所芸人と呼ばれる人たちは、みんな上沼恵美子さんから影響を受けたという話も。

 

詳しく見ていきましょう。

 

まずは上沼恵美子さんのプロフィールから

【名前】上沼恵美子(かみぬま えみこ)

【生年月日】1955年4月13日

【出身地】兵庫県三原郡南淡町福良

【コンビ】海原千里・万里(1971~1977)

【相方】海原万里(実姉・百々子)

 

関西バラエティ界の帝王・上沼恵美子

上沼恵美子さんといえば、関西バラエティ界の重鎮です

 

司会を務めるバラエティ番組は軒並み高視聴率。

 

長寿番組になることも多く、特に関西テレビの「快傑えみチャンネル」は1995年から20年以上も続いています。

 

 

現在はやや活動を控えめにしていますが、80年代ごろからもう40年近く、関西のテレビ番組を支えている人物ですね。

 

 

ですが全国的にはM-1グランプリの辛口お騒がせ審査員というイメージが強いかもしれません。

 

2011年~13年、そして2016年より再び3年連続で審査員を務め、数々の芸人たちに厳しい言葉をかけてきました。

 

2016年にはスリムクラブに公開ダメ出し、2017年にはカミナリマヂカルラブリーとひと悶着ありましたね。

 

 

そして2018年にはトロサーモンの久保田かずのぶさん、スーパーマラドーナの武智さんがインスタライブで上沼恵美子さんへの暴言を吐き、大炎上となりました。

 

上沼恵美子さんのこと知らない方からすれば、「なんでこんなおばさん審査員にするの?」って感じかもしれません。

 

海原千里・万里として一世を風靡

ですが上沼恵美子さんの漫才師としての実績を知っている方なら、どうして審査員に選ばれるのかには一切の疑問はないかと思います。

 

上沼恵美子さんが芸能界にデビューしたのはもう50年近くも前のことです。

 

お父さんが大の演芸好きで、姉の百々子さんともども芸に打ち込んでいて、お姉さんは漫才師の道へ上沼恵美子さんは歌手としての道へ進むはずでした。

 

百々子さんは同じ女流漫才師の「海原お浜・小浜」に弟子入りし、いよいよデビューという時期に来ていたのですが…

 

なんと百々子さんの相方が直前になって失踪するというハプニングに見舞われてしまうのです。

 

そんな中、相方の代理として選ばれたのが上沼恵美子さんでした。

 

この時より、姉妹コンビ「海原千里・万里」として活動していくことになります。

 

 

 

 

これが1971年、上沼恵美子さんがまだ高校1年生で16歳の時のことでした。

 

ですが当時から類まれな話術を持ち合わせており、たった数年で人気漫才師の仲間入りを果たします。

 

1973年にはNHK漫才コンテスト優秀敢闘賞を受賞

 

1975年にはレコード「大阪ラプソディー」が40万枚を売り上げるなど、まさに一世を風靡していたコンビなのです。

 

 

 

 

しかも若かりし頃の上沼恵美子さんはなかなかおきれいでして、そこも人気が爆発した要因の1つでしょうか。

 

 

ですが77年4月、結成からわずか6年で解散を宣言します。

 

76年末、お姉さんの百々子さんが司会者である夢大作さんと結婚。この時点で海原千里・万里の解散は決定していたそうです。

 

上沼恵美子さんは漫才も芸能界もやめるか、それとも歌手として活動するか悩んでいたそうなのですが、

 

なんとお姉さんの結婚から2か月後に上沼恵美子さんも結婚を発表!

 

結局2人ともが結婚し、海原千里・万里は人気絶頂の中で解散となりました。

 

多くの漫才師に影響を与えた海原千里・万里

活動期間こそ非常に短いのですが、2人の活躍が漫才界に与えた影響は計り知れません。

 

ビートたけしさんは基本的に女流漫才師を認めることは少ないのですが、「海原千里・万里は上手かった」と解散から40年以上たってもそう語っていますし、

 

島田紳助さんに至ってはまだ自身が売れていなかったころ、「海原千里・万里」の漫才を一字一句紙に書き起こして研究していたとも言います。

 

上沼恵美子さんがM-1の審査員を務めたのも、そもそもは島田紳助さんに直接頼まれたからでしたよね。

 

テンポが良いだけではなく、間の使い方が抜群にうまく客席の盛り上がり方を見ながら漫才が展開されていきます

 

それでいて言葉選びも抜群で、これが10代の時にすでにできていたのですから。

 

もう天才としか言いようがないですよね。

 

 

もちろん上沼恵美子さんだけでなく、姉・百々子さんの上手さもありましたが。

 

百々子さんはもう芸能界を引退済みなのですが、たま~にテレビで共演することがあって、当時と変わらぬテンポの良いトークを繰り広げてくれます

 

あの漫才は2人だからこそできたんだなと思わされますね。

 

たった6年間でしたが、もっと長く活動していたらさらに洗練されていたのでしょうか。

 

ただの偉そうな関西のおばちゃんではなく、歴史に名を残す漫才師だったからこそ、M-1の審査員席に座っているということなのです。

 

https://twitter.com/jetpack/status/1075705455123386369

 

いかがでしたか?

若かりし頃は天才漫才師として数多くの芸人に影響を与えた上沼恵美子さん。

 

M-1で審査員に選ばれているのも、決して昔取った杵柄というわけではありません。

 

毎年のように騒動になっているM-1での審査ですが、今後はどうなっていくのでしょうか。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。