いまや国民的タレントとなった指原莉乃さん。

 

そんな指原莉乃さんが、ついにHKT48を卒業するといいます。

 

指原莉乃さんというと、総選挙で3連覇達成が記憶に新しいところですが、過去にはスキャンダルも起こしていたのも印象深いですよね。

 

AKB48で光も闇も見た指原莉乃さん、今回はそんな波乱万丈なAKB時代を振り返ってみました。

 

まずは指原莉乃さんのプロフィールから

【生年月日】1992年11月21日

【血液型】A型

【身長】159cm

【出身】大分県大分市

【所属グループ】HKT48

【所属事務所】太田プロダクション

 

AKB48で人気メンバーだった指原莉乃

指原莉乃さんがAKB48に加入したのは2007年のことです。

 

5期生のオーディションに合格して、デビューとなりました。

 

同期には北原里英さんや宮崎美穂さんらがいらっしゃいます。

 

そして翌2008年には早くも研究生メンバーから正規メンバーへと昇格し、チームBへと加入。

 

大声ダイヤモンド」で初選抜にも選ばれました。

 

 

最初の方はMCでも全然喋らない目立たないキャラクターだったそうですが、ラジオ番組や公演の回数をこなしていくうちに本領発揮。

 

持ち前のトーク力を見せ始めるようになります。

 

すると今度は喋りすぎて収拾がつかず空回りしてしまうことも多かったのですが、それがむしろファンに受けて、人気を集めていきました。

 

大声ダイヤモンド」以降も「10年桜」、「涙サプライズ」と3作連続で選抜入り。

 

1度目の総選挙では27位(選抜外)とあまり振るわない順位でショックを受けたそうですが、それもまた糧にして地に足をつけながら活動してきます。

 

 

大きな転機となったのは2009年放送の「週刊AKB」でのバンジージャンプ企画、そして2010年のブログの開設ですね。

 

「週間AKB」では4人のメンバーでバンジージャンプに挑むものの、指原莉乃さんだけが飛べないという事態になりました。

 

そして翌月に1人だけリベンジの機会を与えられたのですがそこでもまた飛べず

 

しかしこれがきっかけで「ヘタレキャラ」が定着し、バラエティ要因として他の番組にも呼ばれるようになっていったのです。

 

 

そしてもう1つの転機がブログです。

 

2010年の4月ごろにブログを開設したのですが、これが面白い。

 

どれだけ短い記事でもしっかりと内容がまとまっていて、読みごたえがあるんです。

 

いつしか芸能人ブログというカテゴリの中でもトップクラスの人気を誇るようになり、12月には1日100回更新に挑戦して3500万PVを達成

 

さらに翌年の5月には1日200更新に挑戦し、9100万PV、さらに81万件ものコメントが来たといいます。

 

コメント数は「24時間での個人ブログへの最多コメント」でギネス記録にも認定されました。

 

このころから総選挙の順位も1桁になったり、グループ内ユニットの「Not yet」として活動するようになり、人気が確固たるものになっていきます。

 

2011年10月からは「笑っていいとも!」のレギュラーにも選ばれました。

 

いきなりのスキャンダル!HKT48への移籍

2012年になるともうAKB48内でもトップの人気・知名度を誇るようになり、総選挙では4位と過去最高の順位を記録します。

 

しかしそんな指原莉乃さんに事件が起こりました。

 

なんと総選挙から10日後、週刊文春に研究生時代の熱愛を報道されてしまうのです。

 

 

しかも相手はファンの男性で、さらにこの報道もその元カレからのリークだったといいます。

 

ご存知の通りAKB48は恋愛禁止がルール、それまでにも何人ものメンバーが熱愛発覚でグループから脱退させられています。

 

当然、指原莉乃さんにも厳しい処分が下されるだろうと予想されていました。

 

ですが指原莉乃さんには意外な処分が下されます。

 

それはHKT48への移籍です。

 

HKT48は2011年にできた新しいグループ。しかも指原莉乃さんの地元である九州を拠点としています。

 

 

どうやら

 

・この件が過去の話であること

・報道内容に事実と違う部分がいくつかあること

 

などから、脱退という処分にはならなかったそう。

 

それでもファンに対して疑われるような行為をしたとして、HKT48への移籍が命じられました。

 

 

HKT48でプロデュースの才能を開花

そんなこんなでHKT48へと移籍した指原莉乃さんですが、そこからの復活劇がすごかったですね。

 

HKT48では単なるメンバーの1人というだけでなく、実質的なプロデューサーとしての役割も担っていました。

 

指原莉乃さんはもともとアイドル好き(特にハロプロオタだった)そうで、ファンに支持されるアイドル像というのが頭の中にあったのでしょう。

 

特に力を入れていたのがライブです。

 

当時はまだまだ持ち歌の少なかったのもあるのですが、指原莉乃さんの提案でモーニング娘。の曲やももいろクローバーZといった他のアイドルの曲をライブで披露します

 

またライブでのMCは指原莉乃さんが担当

 

他のメンバーもまだまだMCには自信がなかったそうなのですが、指原莉乃さんはお手本のようにファンを盛り上げるMCを見せていたといいます。

 

AKB48や他のグループとは違ったライブを、HKT48の武器にしようとしたのです。

 

メンバーたちもどんどん経験を積んでいき、宮脇咲良さんや矢吹奈子さんといったメンバーが頭角を現し始めます。

 

スキャンダルも武器にしたバラエティの女王

ですが指原莉乃さんの魅力はやはりバラエティです。

 

HKT48に移籍してからも、新幹線で東京-福岡を行き来しながら、テレビ出演をしていました。

 

移籍直後はスキャンダルのことをいじられつつも、「HTK指原莉乃」の肩書を背負って番組を盛り上げ続けます。

 

 

するとスキャンダルから1年たった2013年の総選挙

 

なんと指原莉乃さんは1位を獲得します。

 

これまでの総選挙は前田敦子さんと大島優子さんの一騎打ちが続いていました。

 

しかしこの年は前田敦子さんが卒業を発表して総選挙に出ていないとはいえ、初めてその牙城を崩したのです。

 

しかも15万570票は歴代の総選挙で最多だったともいいます。

 

そして総選挙の結果通り「恋するフォーチュンクッキー」ではセンターを務め、この楽曲も大ヒットしました。

 

 

するとまたバラエティ番組への出演も増え、レギュラー番組も増加。

 

いつしかAKBグループのみならず芸能界全体でもトップクラスの売れっ子タレントとなります。

 

今やバラエティの女王といっても過言ではありませんよね。

 

さらに2015年・2016年・2017年の総選挙では3連覇も達成

 

1度は闇を見た指原莉乃さんですが、逆境をチャンスに変えて頂点まで上り詰めたのです。

 

 

 

いかがでしたか?

今回は指原莉乃さんの活動を振り返ってみました。

 

まるでマンガのようなお話でしたね。

 

今後は4月に卒業ライブが行われ、5月に福岡で大感謝祭が行われるそうです。

 

残り5か月となったHKT48としての活動、しっかりと楽しんでほしいですね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。