「もらい泣き」や「ハナミズキ」などのヒット曲で知られる一青窈さん。
情熱的な雰囲気を持った歌に、透き通るような歌声。私たちの心に深くしみわたっていきます。
ですがこの一青窈さん、実は過去に不倫をしていたという事実があり、しかもその時の想いを歌にのせたのが「ハナミズキ」だともいわれているのです。
今回はその真相に迫っていきます。
まずは一青窈さんのプロフィールから
【生年月日】1976年9月20日
【出生名】顏 窈(イエン・ヤオ)
【血液型】O型
【身長】155cm
【出身地】台湾
00年代に大ブレイクした一青窈
一青窈さんは台湾出身の歌手です。「もらい泣き」や「ハナミズキ」などのヒット作を世に放ち、00年代前半に大ブレイクしていました。
慶応大学出身のエリート。見た目もとても清楚で「透き通る清純なイメージ」がありますよね。
出生名の「顏 窈」の「顔」はお父さんの苗字だそうなのですが、台湾で顔家といえば「五大財閥」に数えられるほどの名家。実はれっきとしたお嬢様なのです。
ちなみに現在名乗っている「一青」はお母さんの苗字です。お父さんを小学2年生の時に亡くしてから、母方の姓である「一青」を名乗っているといいます。
「一青」もかなり珍しい苗字ですが、お母さんの出身である石川県の地名にちなんだものだそうです。つまり「一青窈」も本名ということになります(顏 窈を出生名としているのはそのため)。
かなりの名家に生まれ、美しい容姿と歌声を持つ一青窈さんですが、実際の所そんなイメージとは真逆の悪女な部分も結構見受けられます。
略奪愛をテレビで告白
一青窈は2015年に3歳年下のギタリストと結婚し、その年に第1子男児を出産。2017年に第2子女児を出産しました。
純粋な恋愛をこれまでしてきたと思われがちですが、実際の所はそうではありません。
一青窈さんは2016年に放送されたテレビ番組「上沼・高田のクギズケ(読売テレビ)」で、過去の不倫話を暴露しました。
内容は、2007年に当時既婚者だった音楽プロデューサーの小林武史さんと不倫を開始したというもの。
小林武史さんといえば、Mr Childrenをプロデュースし、大ブレイクさせた張本人ですよね。「My Little Lover」では自身もキーボードとして参加しながらバンドのプロデュースを手掛け、またも大ブレイクさせました。
そして98年、My Little Loverのボーカル・akkoさんと結婚し、2人の子どもを授かります。
しかし、2007年には一青窈さんと小林武史さんの不倫が発覚。なんと当時一青窈さんは小林武史さんが既婚者だとは知らずに付き合っていたそうです。
小林武史さんの方も、この当時ですでにakkoさんとは別居状態と報じられており、翌2008年には離婚が成立しました。
その後一青窈さんと小林武史さんは同棲を開始しました。2009年ごろには一時別居状態だったそうなのですが、その後また同棲を再開し、いよいよ結婚間近という話も出てきていました。
しかし結局2人は結婚することなく、不倫報道から7年後の2014年に破局しています。
原因は結婚を強く望んでいた一青窈さんと、akkoさんとの間に授かった2人の子どものことを考えて結婚はしたくないという小林武史さんとの間で気持ちが食い違ってしまったのではともいわれています。
ハナミズキは不倫の歌だった!?
一青窈さんは週刊文春内の阿川佐和子さんとの対談で、7年間の不倫の真相について話をしました。
対談では
・当初小林武史さんに家庭がある事は知らなかった
・その事を知ってからも相手のことを諦めきれず、想いを詩にして送り続けた
という旨の発言をしています。
このコメントから「何らかの曲に不倫に対する想いが込められている事」がうかがえますね。
それでは、その曲は何か?
その曲こそ、かの名曲「ハナミズキ」ではないかというネットでは噂されているのです。
一青窈さんはハナミズキに関して
「『ハナミズキ』は自分の大切な人と、その人の好きな人がせめて100年続けばいい。そういう願いを込めて創りました」
とコメントしています。
確かにハナミズキの歌詞には
「君と好きな人が百年続きますように」
という歌詞がありますからね。
一青窈さんと小林武史さんの仲も100年続けばいい、そう解釈することもできますね。
https://twitter.com/jetpack/status/528982346645516288
https://twitter.com/jetpack/status/853968398555820032
ですが、この線は少し薄いかなとも思います。
というのも、一青窈さんと小林武史さんが出会ったのが2005年の「ap bankfes ’05」という音楽祭です。
対してハナミズキは2004年に発売した楽曲。
この時期のずれを考えても、ハナミズキが不倫の曲だという可能性は低いのではないでしょうか。
一青窈が送り続けた詩とは
一青窈さんが小林さんを想い続けて送った詩は、1曲だけでなくたくさんあるのではないかと思います。一青窈さん自身、詩を”送り続けた”といっていますからね。
もともと一青窈さんの楽曲のほとんどは自身で作詞を担当しています。姉・一青妙さんもエッセイストとしてご活躍されていますし、文章の表現力には優れていたのでしょう。
作詞:一青窈さん作曲・編曲:小林武志さんという楽曲もたくさんあり、一青窈さんはそれらすべてに小林さんへの想いを込めていたのではないでしょうか。
例えば2009年から2010年ごろにかけて発売された
13thシングル「ユア メディスン~私があなたの薬になってあげる~」
14thシングル「うんと幸せ」
15thシングル「冬めく/花のあと」
などはカップリング曲も含めてそのほとんどを作詞:一青窈さん作曲・編曲:小林武史さんで手掛けています。
「ユア メディスン」なんてタイトルからして意味深ですよね。内容も一青窈さんには珍しいややエロティックな歌詞が含まれています。
ほかの曲も、なんとも意味深な曲が多いです。純愛の歌のように見せかけて、別れを嘆く歌だったり、恋愛のもどかしさを歌ったものだったり。
この時期の2人は、一度同棲を解除するものの、1年で復縁してまた同棲再開するという何とも微妙な時期でしたから、その当時の気持ちが歌詞にも表れているのでしょうか。
ですがどの歌にも共通しているのが、相手のことを本当に大切に想っている内容という点ですね。やっぱりこれら全部の曲を含めて、小林武史さんへ送り続けた詩なのではないかと思います。
いかがでしたか。
イメージとは全く逆で、実はかなりドロドロな恋愛をしていた一青窈さん。
歌手として表現者として、過去のドロドロの経験を音楽で表現する時が来るかもしれませんね。
最後までお読みいただきありがとうございました。