平昌五輪が終わってもその存在感と人気で注目の羽生結弦選手ですが、「死にたい」と周囲に漏らしていた事が話題になっています。

トップアスリートとしての練習量や色々な制限は当然辛いものだと想像できますが、「死にたい」とまで思った本当の理由は何だったのでしょうか?

 

まずは羽生結弦選手のプロフィールを改めて見てみましょう。

【生年月日】1994年12月7日

【出身地】宮城県仙台市

【身長】172cm

【血液型】B型

 

平昌五輪での活躍

冬の平昌五輪では日本勢がなかなか金メダルに届かなかった中、遅れて現れてその存在感を発揮し、見事金メダルを獲得した羽生結弦選手。

しかも66年ぶりの連覇となりました。今でも記憶が強烈に残っていますよね。そして帰国後に仙台で行われた凱旋パレードではなんと10万人を超える人たちが集まりました。

羽生結弦選手のパレードでのサービス精神の良さや、下手に撮れてしまった画像を投稿する「#羽生結弦の写真撮るの下手くそ選手権」というワードが常時トレンド入りし続けるという現象も起きましたね。

もはや存在だけでも社会現象と言える人気っぷりです。しかし、この後のインタビューで「死にたい」と漏らす事になります。

 

死にたいと思った理由は?

この凱旋イベントの後で行われたインタビューで羽生結弦選手は「なんで生きてるんだろう」や「何度も死にたいと思った」と苦悩を明かしています。

しかしそれは練習の苦しさや試合のプレッシャーから来るものではない事が分かりました。その理由は公には明かしませんでしたが、

当時は同級生のAさんとの交際と結婚の話題が独り歩きしてしまい、本人は否定したものの、ある記者がAさん本人に妊娠や中絶経験を質問したりと、かなりやり過ぎてしまっていた時期がありました。

これにより悪質なファンによってAさんの身元が明かされ、まともに生活ができない精神状態になってしまったようです。

この事が羽生結弦選手を大きく傷つけ、自分が注目される事で知り合いが変に巻き込まれる事について相当悩んだそうです。

この事が羽生結弦選手を「死にたい」と何度も思わせた原因だと思われます。しかし羽生結弦選手の性格を考えると、本当に死のうと思ったかどうかより、関係ない人を巻き込まないで欲しいという、報道に対するけん制のようにも受け取る事ができます。

自分の選手としての活躍だけに話題が集まれば言う事無しなのですが、なかなかそうもいかないのは辛いでしょうね。

 

いかがでしたか?

強靭な肉体と精神を持つトップアスリートであっても、人が自分のせいで無関係な人に迷惑がかかるのは相当苦しい事が伺えます。

しかもこのような時は対象者がどうしても異性になる事が多く、その理由が自分の活躍や人気だとすればなおさらですね。過熱報道にも負けず、これからもさらなる活躍をしてほしいですね。

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございました。